会津坂下町(あいづばんげまち)は、福島県会津地方に位置し、河沼郡に属する町。
会津盆地西部に位置する。町の中部から東側は盆地が広がり比較的平坦で水田が多く、西側は山林が多い。町の東側から北側にかけて阿賀川が流れているほか、西部には只見川が流れる。古来より交通の要所として栄えた。江戸時代には旧坂下において毎月旧暦の14日に市が立った。坂下町から三里の範囲では市を立てないようにと言う会津藩の御触れが有り、商業・流通の中心として保護されていた歴史がある。会津若松、喜多方、高田それぞれか三里(現代のメートル法換算で約12 km)であるため、「坂下のバカ三里」とも呼ばれた。
慶長16年の会津大地震(1611年)時、現在の喜多方市山科地区で起きた山崩れにより阿賀川がせき止められ、山科湖(堰止湖)が出現し、旧越後街道が現在の国道49号付近まで北側に移動した。このことでもわかるように、会津盆地でも一番高度の低い場所に位置する。余談であるが現在の広瀬地区の地名は当時この山科湖に水没していたことに由来する。この堰止め湖は50年ほど存在し、それを解消したのは会津藩主保科正之と言われている。